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氏名:綴木 馴 (つづるぎ じゅん)

(2006年2月7日を以て戸籍上,綴木 潤から綴木 馴に改名しました)





●綴木家の由来●

綴木という姓に対して,複数の読み方があるが,正しくは「つづるぎ」である.綴木家は元々「綴喜(つづき)」と名乗り,天皇家直属の武士集団であった.天皇家から現在の京都府綴喜郡の一部を領地として賜り,天皇家を護衛する武家として,綴喜の姓を受ける.「つづき」の「つづ」とは天皇家に「つづく」と言う意味として与えられた姓である.

源平合戦の折,平家により都からさらわれた安徳天皇を護衛する為,綴喜軍は平家軍に加わるが,壇ノ浦の合戦で,平家軍が劣勢となる中,安徳天皇は関門海峡に身を投げてしまう.主君である安徳天皇を失った綴喜軍は平家軍に弓を引き,結果として源氏に寝返る形となった.その恩賞として,源氏から平家の領土であった現在の北九州市門司港付近を新たな領地として拝領し,綴木「つづるぎ」と改姓.

明治維新後は,広大な綴木家邸宅を綴木公園(現在の料亭:伯翠庵はその一部)として築き,門司市民に桜の名所として開放するほどの栄華を誇ったが,今は,綴木公園の存在すら知られておらず,武家の名門であった綴木家も栄光の影を失いつつある.現在は数人の綴木姓を名乗る一族が門司港付近に住んでいる.